「元プロ野球選手→エンジニア・大塚義樹さん」さっぽろ村ラジオ トライアローSAPPORO応援情報コーナー

2015年04月07日 北海道支店ブログ  コラム

こんにちは!トライアローの森です!

今回のさっぽろ村ラジオトライアローSAPPORO応援情報コーナーのゲストは、弊社・通信ネットワーク事業部の大塚 義樹さんにお越しいただきました。
大塚さんは、通信ネットワーク事業部では、移動体通信の置局業務を主に担当しております。
そして、この大塚さん、過去の経歴はなんとプロ野球選手!!
現役~引退後、そして今と色んなお話しを聞かせてもらいました!


◆◆◆今週のゲストはトライアローの通信ネットワーク事業部からのゲストになります!
名刺にも名だたるチーム名が書かれてますね~!
元南海ホークス、元横浜ベイスターズ、元日本ハムファイターズでプロ野球選手としても活躍しており、現在はトライアローの通信ネットワーク事業部に在籍する大塚 義樹さんです!
大塚さん宜しくお願い致します!

-----こんにちは、宜しくお願い致します!

◆◆◆大塚さんは南海ホークスにいらしたとのことですが、ドカベンの香川選手と一緒だったんですか?

-----キャンプの時一緒の部屋でしたよ。すごく良くしてもらいました。

◆◆◆そうなんですね!今日は色んなお話が聞けそうですね!大塚さんはドラフト3位だったとのことですけど、その時のことは覚えてますか。

-----覚えてます。その時僕は自動車の教習所に通っていたんですけど、校長先生から館内放送で「大塚君、至急校長室へきてください。」とありまして一体何があったんだ?と思って行ったら「すぐに学校に行きなさい!と言われまして。それで高校に戻ったら先生から「ドラフトかかったぞ!」って教えられました。最初、南海ホークスと聞いて、南海ってどこだ?ってなりましたけど笑

◆◆◆当時はまだパ・リーグはセ・リーグに比べて人気も情報もあまり無い時代でしたもんね。

-----そうなんですよ。漫画のアブさんで南海ホークスはしってましたけど、チームにどんな選手がいるかも知らなかったですし、関東だったので試合も見る機会がほんとになかったですね。

◆◆◆そうしてプロの世界に入るわけですけど、最初なにか苦労したこととかありますか?

-----苦労っていうのはなかったですね。きついっていうのはありましたけど。自分が好きで入ったので、野球を辞めたいとかは全くなかったですね。僕は元々プロって選択肢が無かったので、大学か社会人として野球だけは絶対続けていきたいって思っていた矢先にプロの世界で野球を続けれるっていうのは本当に幸せでしたね。

◆◆◆プロの世界って好きだけではできないっていうか、好きなことを仕事にしてしまうと嫌いになってしまうっていうことがある選手もいますけど、そういったことはあったりしました?

-----無いですよ。オフシーズンなんかは1週間経つと、もう野球がやりたい!ってなってました。体がウズウズして落ち着かなくなります。あと、ユニフォームでスイッチの入り方は違いますね。ユニフォームを脱いだら野球を忘れるっていう感じです。ペナントレースは長いので。

◆◆◆そうなんですね。キャンプはどんなメニューをするモノなんですか?

-----ほとんどの選手は課題がすでに見つかっていて、メニューも決まってますね。色んなパターンがあると思うんですけど、キャンプ期間に開幕までに段階を踏んで体を作るための期間として動くんです。南海の時は11月の時、体重85キロだったんですけど1月に入ってから同じ体重で来い!って言われたんですよ笑
+1キロ=1万円の罰金だったので必死でした笑

◆◆◆そんな罰金制度あるんですか!笑 必死になりますねそれは笑

-----そうですね、ある意味野球そっちのけになってサウナ行ってることもありましたよ笑

◆◆◆現役は何年続けられたんですか?

-----11年くらいです。横浜ベイスターズの時に引退したんですけど、2軍の試合に4番ファーストだったんですね。
巨人戦だったと思いますけど、ファールフライを取りに行ったらコンクリートに脚を打ち付けてしまってすぐに病院に搬送されたんです。
最初に運ばれた病院はなんともないって言うんですけど、どう見ても豚足みたいに腫れ上がってたんで、なんともなくないんですよ笑
それで、違う病院に行きまして、足の指の間が剥離骨折で全治2ヶ月。
それで入院中にシーズンが終わりまして、わざわざ病院にチームの方が来られたんですね。
その時に「来季は契約しないから」と言われて真っ白。

◆◆◆プロの世界は本当にシビアですね。どんなに活躍してもチームにずっといれるわけではない、1年、1年が勝負という。

-----30歳は過ぎていたので、どこかで覚悟はしてましたね。そろそろかな、と思っていっても毎年契約を更新してもらっていたんですけど。

◆◆◆引退後から第2の人生はどのように考えて動いたんですか?

-----ずっと野球ができると思ってはいなかったんですけど、やっぱり野球はやりたくて、高校の恩師に会いに行ったり、台湾でも話があったんですけど足の状態を言うと「やっぱりこの話はなかったことに」っていうこともありまして。
そこで、日本ハムファイターズからお声掛けていただいて、ブルペンキャッチャーっていう仕事をやらないか?って言われたんです。
そこでやることに決めて、日本ハムの事務所に契約しに行ったんですよ。
そしたらテレビカメラがたくさん来ていて、俺の契約にこんなにカメラ来たのかー!って思ってたら落合さんの契約更新だったっていうオチがありまして笑 本当にすごいカメラでビックリしたのを覚えてます。

◆◆◆大塚さんのスポットではなかったんですね笑

-----全くカメラ動いていなかったです笑

◆◆◆ブルペンキャッチャーってどんな仕事をするんですか?

-----基本的にはピッチャーの球を受けることがメインですが、特別バッティングのピッチャーは人数が限られているのでお手伝いしたり、ナイター後の選手の練習相手になったりです。

◆◆◆他に選手のメンタルのケアなんかもしてるんですか?

-----選手とは200日以上一緒なので、性格はよくわかってるんです。持ち上げて持ち上げて良くなる選手、お前もっとこうしろよ~!みたいにいって良い選手色々なので、かなり気を使いましたね。
ダルビッシュ選手なんかは、とても頭が良いので自分の修正するところ、調子の悪いところなんかは自分でよくわかってるんです。
周り以上に自分を知ってるんです。だから調子をすぐに取り戻せるんですよね。そんな彼を本当にスゴイなって思ってます。

◆◆◆そうなんですね。現役選手とチームスタッフとの違いってどんなことなんですか?

-----やっている楽しさと見る楽しさっていう違いはあります。最後の方は分析にも携わっていたんですけど、相手ピッチャーのクセとか配給なんかは分析して選手に伝えるんです。そういう発見が勝利に繋がったりするので、そこは選手とは全く違うやりがいがありましたね。

◆◆◆チームのバックアップがあって勝利数が変わってくる場面もあるんですね。

-----今はどんどんその比率は上がってきているとおもいます。144試合ありますから、何度も対戦していくわけですし、細かいクセなんかを選手がしっているだけで、まず選手は安心しますし、打てる確率が上がればチームとしてはいい仕事をしたことになりますから。今後もデータ野球は重要視されるでしょうね。

◆◆◆なるほど。大塚さんはプロ選手としての経験はどのように活かされていますか?

-----今まだまだ勉強中の段階なので、エラそうなこと言えませんが、見て学ぶっていうのはすごく現役時代と通じるものはあると思ってます。
後は学ぶ姿勢はこれからも持ち続けたいと思ってます。

◆◆◆ブルペンキャッチャーとしての経験ではどうですか?

-----この言葉はこう使えるな、とかこう言ったら相手はどうなんだろう?っていうのはブルペンキャッチャー時代に選手と接する上で一番考えていた部分ですので、今もビジネスの世界に入ってそこは常に考えて成功事例を大切にしています。

◆◆◆まさにデータ野球ならず、データビジネスですね

-----いや、そこまですごいものではないです笑

◆◆◆最後に、今後はどのようなことに力を入れていきたいですか?

-----元プロ野球の肩書きが無くても、ビジネスの世界でプロとして仕事をしていきたいと思っています。
過去のことが無くても今の自分で全てできるようになることが当面の目標としています。

◆◆◆どの仕事もプロとしてっていうことですね。

-----サラリーマンでも、どの世界でも皆さんプロですから。だから、未来をみていきたいとおもいます。


◆◆◆ありがとうございました!

-----ありがとうございました!!